Hong Kong Japanese Catholic Society
香港日本人カトリック会では、毎週日曜日にハッピーバレーの教会で日本語のミサを行なっています。
アダム神父さまは2009年に誓願50周年を迎えられました。
おめでとうございます!
2009年11月8日に行われたアダム神父様誓願50周年パーティには、日本や深圳、マカオから来られた方々を含め、参加者が50名を超える盛大な会を開催することが出来ました。
神父様への祝辞、日頃のお礼を伝えた後は、懐かしい人たちを交え歓談の花を咲かすことが出来ました。また、日本にいらっしゃる時の若々しい神父様、海外での活動する際の神父様など、日頃目にすることの出来ない写真の数々を拝見することも出来ました。
改めて、精力的に当会をサポート頂くアダム神父様にお礼を申し上げると共に、このパーティの運営に数多くの皆さんからサポート頂きましたこと改めてお礼申し上げます。
香港日本人カトリック会 会報2009年11月号より
アダム神父さまは1959年ニューヨークメリノール会本部で叙階。
1960〜76年、東京、京都、室蘭、鈴鹿、夕張で宣教。1977〜82年、ネパールで福祉活動。1983年から香港において日本人会を手伝って下さっています。
アダム神父は、何も持っていない。
教会もない、家族もない、お金もない。でも、不思議なことに、必要なものは全て神様から与えられている、と言う。
1928年、アメリカ、ペンシルベニア州で、ポーランド移民の家庭の9番目の子として誕生。
その頃のアメリカは、教会が生活の中心で、出身国毎の教会があった。
幼い頃より、家計を助ける為にいろいろなアルバイトをする。
高校卒業後、進駐軍の一兵士として東京へ行く。その時の従軍司祭との出会いが、神学校へ進むきっかけとなる。
帰国後、神父になる勉強を始める。27歳の時、大神学校に入学。
母カタリナは非常に喜ぶが、息子が司祭になる前に帰天。母が病気の大きな苦しみを神様に奉げてくれたおかげで、ずっと健康で活動できることを、アダム神父は感謝している。
31歳で、メリノール修道会司祭として叙階。
日本へ宣教師として派遣される。日本語の勉強を2年して、滋賀県草津市、北海道室蘭、夕張、京都、三重県鈴鹿市、四日市市、と司牧し、39歳で再び夕張へ。
そこで10年過ごし、教会や保育所や肢体不自由児のための施設建設に尽力する。
49歳で、ネパールでお金を使わない知恵遅れの人の為のプログラムを実施する。
55歳の時、U-CAN Useのジャーナリストとして香港に来る。
日本人カトリック会を以来手伝ってくれている。
その他中国在住の外国人のためのミサ、いくつかの修道院でのミサを行う。
また、アダム神父は32冊の本を書き、両親が先生となって自分の子を導く方法を伝えるセミナーには、延べ20,000人以上が参加し、毎年世界各国を回っている。
行きなさい、わたしはあなた方を遣わす。それは、狼の群れに子羊を送りこむようなものだ。財布も履物も持って行くな。
ルカ10、3〜4