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香港日本人カトリック会の歴史

マーガレット教会が私達の共同体のためにどのような便宜を図ってくださっているか、又この会がどのように続いてきたのか。異国で日本語のミサにあずかれる幸せを感謝しつつ、今日に至った経緯を振返りましょう。

1970年

来港される日本人神父を囲んでミサや食事会をしていました。その情報は香港在住で援助修道会のSr.上田よりもたらされ、一年に一回は告解できるようにしていたようです。

70年アジア司教会議の帰途、白柳大司教、相馬司教、松村神父が当地に立ち寄られ、ミサを捧げ、食事を共にされました。大司教は70・71・72年とおいでになっています。中央協議会の松村神父は70年代最も多く訪問され、70・71・72・74・75・77年と信者と交流しておられます。

1973年

日本人の集まりがあったほうが良いというので、9月に日本人カトリック会 Japanese Catholic Society in Hong Kong が設立されました。

設立に際し寄付してくださったり、この会をサポートしてくださる神父を紹介してくださるなどの尽力を頂いたのがラムご夫妻でした。初代会長が香港赴任の折、Sr.ラムを紹介され、そのご両親であるラム御夫妻に出会いました。夫妻は日本駐在経験があり日本語も堪能で、以後ずっとかかわってくださいました。
そのお礼もこめて正月前後に子どもたちがアガサ ラムさん宅を訪問し、それはアガサ・ラムさんが2004年に帰天されるまで毎年続きました。

設立当時の会員数は子どもを含め約20名、お手伝いしてくださる司祭はパウリナ神父、前述のSr.上田も80年まで会をサポートしてくださいました。

第1回目はカトリックセンター、2回目以降は九龍のファティマ修道院Convent of Our Lady of Fatima において月に一回、日本語か英語のミサ、食事会が行われるようになりました。

洗礼第一号もこの年にでました。

1975年

ドミニコ会のサルバトール・ルイス神父様が来られ、集会場所としてカトリックセンターを使ったりして、日本語のミサに与かれるようになりました。

会員数約25名、会費20ドル、カトリックセンター使用代30ドル、センター献金10ドル。

1976年 

前年度残高(多分1300ドル前後)が多いので会費を、家族10ドル、大人一人5ドルと定めています。

この年より週一回、各家庭交代で7人の子どものためにルイス神父による要理の勉強が始まりました。

会の信者さんで結婚第一号がでました。

1977年

会員数 大人19名、子ども16名、計35名になっています。

1978年

女子パウロ会のSr.金崎 79年 同会のSr.アマリア山田の姿が見えます。

1980年

復活祭以降、ルイス神父の働きによりスタブス道のRosary Hill Schoolの小聖堂と教室で集会が持てるようになりました。

同年毎月第1土曜日午後、土曜学校が始まり、10数名参加、(未信者も含め)と記録されています。
先生はルイス神父、H.K.U.の大学院生、インター校生の三人です。

また、創立前から日本人のケアをして下さったSr.上田が帰国されました。

1981年

クリスマス参加者28名。

1982年

ルイス神父休暇中の4ヶ月間サドレニーノ神父様が関わってくださいました。

1983年

Sr.リー、アダム神父が登場し、スタンレー メリノールハウスも使えるようになりました。

1984年

イエズスの小さい姉妹友愛会のSr.マリア富美が来港。友愛会は1956年アバディーンの水上生活からスタートしました。

ロザリーヒルスクールでのクリスマスには、ルイス神父、アダム神父、Sr.アネッタ・(リー)と、20人の信者参加。

1985年

アダム神父のご指導で、婦人の聖書を聞く会が月2回、各家庭回り持ちで開かれる事になりました。

イースターのミサがメリノールハウスでルイス神父、アダム神父司式で行われました。受洗者3人、初聖体4人。

1986年

京都ノートルダム教育修道女会、Sr.和泉屋、Sr.佐藤が来られ第2、第4日曜日に日曜学校がヨゼフ教会で開催。

会費大人10ドル、子ども5ドル。

会としての支出は、年間 ロザリーヒルとメリノール会に合わせて700ドル。Sr.方の交通費として300ドル。

11月、中国広東省視察の帰りに安田大司教、相馬司教、深堀司教、石神司教、ウオレ神父、深水神父、聖心のシスターが香港に立ち寄られ、ロザリーヒルでミサをたてられました。

また、会のために11年間働いてくださったサルバトール・ルイス神父が東京大森の男子学生寮のケアに当たられる為日本へ帰国される事に。神父様曰く、「懐かしい日本で、今度は日本の土になるため神様のため働きます。」「私がどんなに日本人に近くなっていたか、それは私の好きなものを言えば明らかです。南海(球団)…四国にいましたので …栃光(力士)、歌手では西田佐知子…今どうしているでしょうか。」

12月、白柳大司教、深水神父来港。クリススミサがメリノールハウスで捧げられました。

また、ドミニコ会プエブラ神父が日本人会のお手伝いに参加して下さることになりました。

1987年

新年に夫婦の祝別がありました。

J.カーティー神父が会のお手伝いに来てくださいました。

1988年

カトリック会でマカオに日帰り旅行をしました。

クリスマスは観塘教会で祝われ、当日前述のカーティー神父の送別会をしました。Sr.アネッタも出席され、50人の参加者がありました。

1989年

プエブラ神父が3年半の滞在を終え、日本へ。

フランシスコ会のドミニコ・ガンドルフィ神父が来港し、会をサポートしてくださる事になりました。

イースターはロザリーヒルで行ないました。

10月に、ある日本人の信者さんがミサに行っていたハッピーバレー聖マーガレット教会で司祭のピーター・リョン神父と話をしました。その時に日本人の集会に当教会を使用してもいいかお聞きした所、快諾してくださいました。リョン神父はネパールでの布教活動を通してアダム神父を知っておられましたが、この事も会にとって有益に働いた様です。何故ロザリーヒルスクールから移転しようかと考えたかというと、2つの理由があります。一つは、ロザリーヒルはドミニコ会経営の学校ですがルイス神父、プエブラ神父がお帰りになり、日本人会を直接知る神父がいなくなったこと。第ニに地理的に不便ということです。

この年のクリスマスより聖マーガレット教会101、102教室が会の集会所となりました。日本語のミサがマーガレット教会で行われているというお知らせと、カレンダーをクリスマスに香港60ヶ所の教会に郵送しました。

1990年

1月、第1、3日曜日9:00〜9:30聖歌の練習9:30〜11:00ミサと例会、で月2回集まるようになりました。

4月、信者でピアノの先生である方の弟子を中心に布教を目的に聖セシリア合唱団が結成されました。
幼稚園から中学生までの児童合唱団です。後に母親コーラスもできました。

6月、西貢、聖心堂でミサ。初聖体3人。

7月、パリ外国宣教会のワレ神父来港。マーガレット教会101室で同神父、ドメニコ神父司式によるミサ。

9月、白柳大司教、深水神父、寺西神父来港。

10月、聖マーガレット教会65周年記念行事に合唱団参加。

11月、マーガレット教会主催パザーに寿司1000ドル分寄付。

12月、マーガレット教会大聖堂でクリスマスミサ、そしてパーティー。合唱団の家族も参加。

会費大人20ドル、子供5ドル。

1991年

1月、芹沢雅仁神父来港。

ミサが4回になり、第2、第4日曜日は、合唱団の練習の後、11:00〜12:00 にミサとなりました。

同神父は合唱団団長となられ、練習の前には短いお話しをしました。受洗,初聖体、堅信の勉強、中高生の集まり、求道者の為の勉強会、広東語のミサ勉強会、家庭集会などが行われました。

3月、カトリック会の設立に尽力してくださった Mr.ラムが帰天。

7月、セシリア合唱団と深セン実験学校との交流会で、バスをチャータ—し深センへ。

9月、日本人会主催、合唱団共催で合唱団のファンドを大きくする為、初めてのバザーが開かれました。純益の3分の1はマーガレット教会へ、3分の2は合唱団へ。 

10月、中央協議会事務局長岩橋神父来港。香港教区150週年記念ミサが香港スタジアムで行われ、会から有志が参加。

12月、マーガレツト教会でクリスマスミサ、パーティー。

1992年

4月、西貢聖心堂で復活祭ミサ。

名古屋聖心会のピーター チョーク神父が来港され、日本人会にかかわってくださることになりました。この春はアダム神父、ドミニコ神父、芹沢神父,ピーター神父と司祭が4人になりました。

6月、89年より三年間お世話頂いたドミニコ神父が転勤で、新潟県糸魚川へ。

8月、芹沢神父、北京語勉強の為北京へ。「一年七ヶ月と二十日があっという間に過ぎてしまいました。たくさんの信者の方々と親しくなれたことが一番良かった事です。…ビジネスマンの家庭の現実もよくわかり、その忙しさに司祭がどう対応したら良いのか考える事ができました。…神様が日々導き、お互いがますます一つに結ばれます様に」と記されました。

12月、クリスマス用式次第を100部印刷。

1993年

北京より芹沢神父がこの日の為に来港。アダム神父、ピーター神父と共に司式。この後ピーター神父は日本へ戻られ、アダム神父不在の時には日本語のミサは不可能になりました。

4月、イースターミサがメリノールハウスで。60人参加。バリー神父英語で司式。テハン神父来港。 

5月、三年ほど前より中央協議会へ司祭派遣要請の手紙を送っていましたが、香港視察の為岩橋神父、小川神父来港。

6月、援助修道会のSr.尾崎が一年研修で来港。合唱団の子供のお話し、初聖体の準備、公教要理をやってくださることに。

7月、ダナハー神父司式のミサ。

10月、アダム神父半年ぶりに帰られ日本語のミサ。合唱団秋祭り。フランシスコ会の菊地神父がサバティカルで4ヶ月香港へ。

12月、マーガレット教会でクリスマス ミサ。160人参加。合唱団も一家族一品の持ちよりパーティーに参加。

1994年

2月、菊地神父帰国。

3月、エギ神父来港。

4月、初めての集会祭儀がSr.尾崎によって行われました。

5月、Sr.尾崎帰国。

6月、フランシスコ会の福岡神父来港

7月、サバティカルで来港されていた天使の聖母宣教修道会のSr.蓬田が日本人会の要請を受けお手伝いしてくださる事になりました。Sr.蓬田は子供の要理、婦人会、受洗、堅信準備など現在(2005年)に至るまで会をサポートしてくださっています。

10月、沙田馬場での香港教区伝教節のミサに、はっぴ、ゆかた姿で10名参加。中央協議会事務局の松隈さんが2ヶ月の予定で来港。

11月、白柳大司教が枢機卿になられた叙位祝いを郵送。

12月、マーガレット教会でミサ。250名参加。

1995年

「聖書と典礼」の部数を15部から20部へ増。

4月、メリノールハウスでイースターミサ。アダム神父司式で。

6月、日曜学校歓迎会。

9月、イエズス会ディエス師来港。10日間滞在でミサ、家庭集会、黙想会、そして貸切トラムによる市内観光も行われました。

10月、長崎より川口師来港。合唱団主催秋祭り。

12月、マーガレット教会のバザーにプロミスリング、毛糸のぬいぐるみ、クッキー、カップケーキを作って販売。5年間続いた聖セシリア合唱団解散式。マーガレット教会でクリスマスミサ。

1996年

3月、マーガレット教会の李錦如さんの紹介で女性のダウン症の授産施設、信者愛義工小組への有志がボランティアで行くことに。フィリピンより山頭神父来港、ミサ。

4月、天使の聖母宣教修道女会本部に於いて、イースターミサ山頭神父司式で30人参加。同会で、バリー神父司式初聖体式。

6月、1ヶ月の予定で小さき兄弟会の塩田神父インドより来港、ミサ。家庭集会。

7月、盛岡よりマルコ神父来港、ミサ。共同通信社の岩瀬氏<ジャーナリズムの目から見た返還後の問題点>のテーマで講演。101教室で20人参加。1人20ドル。東アジア信徒交流会がマカオで開催。会議に出席されていた平山大分司教、小沢神父来港。

8月、御受難会のウォード神父・小岩教会の岸神父来港、ミサ。

10月、メリノール会オダノヒュー神父来港、ミサ。Mission sunday96が香港スタジアムで開催。長崎の川口神父来港、ミサ。

11月、UCANの仕事で香港在住のメリノール会、ウィリアム・グリム神父様が会を手伝って下さることになりました。

12月、マーガレット教会バザー参加、1枚25ドルのお好み焼きを出す。毎月第2日曜は子供の為のミサとなりました。白柳枢機卿、深水神父来港。

1997年

復活祭がメリノールハウスで。

6月、マカオ巡礼。ザビエル教会でミサ。会議で来港中の岡田司教、深水神父、Sr.清水が参加し、マカオでSr.山田、Sr.金崎、山口神父、アルビーノ神父が合流。

10月、11月、西貢へハイキング。蛇口で、月に2回アダム師が訪問しているグループとの合同ミサ、交流会。

12月、教会バザーでカレー等を販売し、5900ドル寄付。

1998年

インドよりピント神父来港、ミサ。

4月、メリノールハウスでグリム神父によるイースターミサ。

5月、マカオの山口神父来港、ミサ。

6月、UCAN HOUSEでミサとBBQ。

7月、大塚京都司教来港、ミサ。

10月、柴湾スポーツグランドでMission Sunday98。日本人会は浴衣、はっぴで参加。

12月、教会バザー。カレー、石けんのデコパージュ、献品等で9081ドル売り上げ。50人参加。

1999年

3月、観塘で黙想会。

4月、メリノールハウスでアダム神父、グリム神父、水口神父司式による復活祭ミサ。34人参加。

6月、UCAN HOUSEでミサとBBQ。

7月、マカオより山口神父来港、ミサ。長州島で集会祭儀。

10月、アダム師の叙階40周年お祝い会。師は、59年ニューヨークメリノール会本部で叙階。
60〜76年、東京、京都、室蘭、鈴鹿、夕張で宣教。77〜82年、ネパールで福祉活動。83年から香港に於いて日本人会を手伝って下さっています。

11月、死者の月でハッピーバレーの天主教墓地を訪問。

12月、教会バザー。バルーンアート、カレー等で5500ドル売り上げ。寄付。バザーはこの年で終了しました。60人参加。

2000年

香港スタジアムでの元旦ミサ。

4月までの予定で田園調布教会の菊池神父来港。

2月、東京教区山本神父来港、ミサ。中央協議会の松隈さん来港。

4月、観塘教会で黙想会。メリノールハウスで復活祭ミサ、26人参加。

7月、UCAN HOUSEでミサ。BBQ、23人参加。

10月、上智大学のボネット神父来港、ミサ。グリム神父送別ハイキング。神父様は4年間達者な日本語で会に関わって下さいました。

2001年

1月、香港スタジアムで元旦ミサ。観塘教会に招かれ、ミサ中日本の歌を披露。会費を大人1人100ドル/月、学生50ドルに改正。

3月、メリノールハウスで黙想会。

4月、メリノールハウスで復活祭ミサ。35人参加。

6月、イエズス会のショーン神父がアダム師不在の時にはミサに来て下さることになりました。

11月、長州島へハイキング。サレジオハウスにてミサ。

12月、ドイツより川本神父来港、ミサ。クリスマスミサがマーガレット教会で。子供の聖劇をしました。

2002年

3月、観塘教会で黙想会。復活祭ミサがメリノールハウスで。

8月、森口神父来港、ミサ。

11月、有志5人が2歳前後の子供とお母さん対象のグループ“コロボックル”を立ちあげました。

12月、クリスマスミサ後のパーティーにむけて、子供たちが歌を練習し、披露しました。

2003年

3月から4月末にかけて、香港はSARS禍に巻き込まれました。教会も聖水なし、握手なし、御血の拝領なし、ホスチアは口で受けない、告解なし、(一般的な赦しはミサ中で)のないないづくしで、当会のお母さんと子供たちは殆ど一時帰国しました。よって、イースター中行われる予定の子供の洗礼式・初聖体式は延期になりました。その後もしばらくは全員が除菌ジェルで手を消毒してから聖体拝領、という光景が見られました。

12月にはマカオに巡礼旅行。シスターのご好意により修道院の宿泊施設に泊まりました。クリスマスミサにむけて、聖歌の練習を行いました。クリスマスのパーティーではバイオリンの演奏もあり、大変にぎやかなものとなりました。

2004年

復活祭ミサはメリノールハウスで、子供たちもたくさん集まり、「イースターエッグさがし」でにぎわう一日となりました。イースター後アダム神父様が海外にでられる間はショーン神父、ジム神父によりほぼ毎週ミサが行なわれました。秋はロザリーヒル修道院でミサの後ハイキングを行ないました。

2005年

メリノールハウスでのイースターでは、日本人お母さんの赤ちゃんと広州からみえたフィリピン人コミュニティーの子供たちの洗礼式がありました。

アダム神父様は4月から8月中旬まで香港を離れましたが、その間ショーン神父様・マカオより風戸神父様がごミサを授けてくださいました。また、アダム神父様も数日間ずつ2度ほど香港に戻られ元気そうなお顔を見ることができました。シスター蓬田も5月から9月中旬までの予定で日本に休暇帰国されました。しかし、体調により日本滞在が長引き、お戻りは年明けの1月になりました。

聖マーガレット教会でのクリスマスのごミサ中、四名の大人の洗礼と4名の子供の初聖体がありました。いつもはシスター蓬田が洗礼者や初聖体者の勉強をしてくださるのですが、この年はシスターがいらっしゃらなかったので、大人の方たちは主にアダム神父様に勉強をしていただきました。ごミサ前やアダム神父様のいらっしゃるクントン教会で勉強を熱心につづけられました。また、子供たちはお母さんたちと一緒に勉強をしました。始めは“主の祈り”や“聖母マリアへの祈り”を覚える所から始まりましたが、初聖体後は立派な侍者に変身しました。

この年お世話になった風戸神父様は7月に台湾へ転勤されました。

香港でのカトリック会の存在を少しでも多くの人に知ってもらいたいという必要性から、11月にブログを開設、そして12月1日に念願のサイトが完成しました。

(注・文章中のドルはすべて香港ドルです)

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